銃の音を聞いて育った記憶
「どこの国に逃げるか私たちには選択肢がありませんでしたが、今はオーストラリアに行けたことを本当に感謝します」先日UNHCRがジュネーブで開いた三者協議会に、オーストラリアから出席した、元ソマリア難民のアメド・ディニさんはそう発言した。
ディニさんは、1987年にソマリアで生まれた。3歳のとき、ソマリアでは既存の政権が崩壊し無政府状態に陥った。幼いときの記憶は、銃の音や兵隊が道を歩いている姿で占められている。父は薬局を営んでいたが、母は安全を求めて隣の国ケニアに逃げることに決めた。ディニさんをつれて100キロ離れた国境を越えた。
「母の人生でいちばんつらい決断だったと思います。でも子どものことを最優先に考えてくれたのです。難民キャンプでは、毎朝、母の悲しい顔を見ました」。
出身国より受け入れ国
ディニさんたちは5年間難民キャンプで暮らし、自分たちを受け入れてくれる国が現れるのを待っていた。そこで手を挙げたのがオーストラリアだった。難民の受け入れに寛容なオーストラリアには、アフガニスタン、イラク、スーダンからの難民も多く移住している。
「オーストラリアに行くことができて、母は初めて本当の笑顔を浮かべました」とディニさんはいう。移住当初は、語学の習得と、新しいコミュニティの適応するに苦労した。
そのなかで見つけた居場所が、オーストラリア在住アフリカ人のベストプレーヤーが集まるサッカーチーム、ユナイテッドFCAだった。今ディニさんはソマリア・オーストラリア・フットボール協会の代表もつとめている。
「各国政府は難民たちに新しい人生のチャンスを与えてほしい」とディニさんはいう。
「難民たちにはチャンスが必要なのです。いったん、その国の市民として認められれば、出身国以上に、自分たちを新しく受け入れてくれた国を愛するようになるでしょう」。

UNHCR
http://www.unhcr.org/503742a49.html